処暑 shosho
処暑とは暑さがおさまるという意味で、厳しい暑さの峠を越し、夜の虫の声に秋の気配を感じる頃です。虫の音は世界中で愛されているわけではなく、限られた民族にしか心地良く聞こえないのだとか。虫は夏の着物の文様に多く使われ、工芸品の虫かごも帯の柄にもなり、はっとする美しさを感じます。
そして子ども達が無邪気に虫を追いかけまわしたり、カブトムシを幼虫から育てたりするのは世界共通ではないようです。英語では虫の名前のボキャブラリーがそもそも少ないそう。この時期、山深い恵那山麓では、鳴く虫の声に耳を傾ける時間を有意義に過ごしています。
納涼花火大会
恵那山麓の各地で納涼花火大会が開催されています。日本の花火は慰霊や疫病退散の意味を込められており、一説では夏の花火は死者の魂を導くお盆の「迎え火」や「送り火」の一種であるともいわれています。鎮魂の祈りや供養の気持ちを込める意味もあるのかもしれません。
残暑が続く中、【中山道・中津川おいでん祭納涼花火大会】へと行ってきました。屋台もたくさん出ていて賑わい、りんご飴や冷凍パインのビビッドカラーと浴衣の柄が夏の終わりを彩っていました。
ところで納涼とはどんな意味でしょうか?涼を納めると書いて、夏の暑さを避け涼しさを求める伝統的な概念のようです。木陰で涼むこと、水辺でのひとときを楽しむことや、夏祭りや花火大会のようなイベントで涼を感じることまで、多岐にわたります。さらに心で感じる納涼の意味もあるようです。風鈴の音色や、怪談を語り合うことで涼しさを感じるという、心理的な涼を求める文化も存在します。
河川の横で打ち上げられる中津川の花火大会は涼しい風が吹いていました。ヒュードン!ドン!パチパチパチというこだまする音とともに心の中で夏の終わりを感じています。日中の気温で熱くなったアスファルトの上に座りながら、スイカや朝顔の花火で涼む不思議さ。来年は浴衣とお面で参加したいなと思います。
ゑなの結
私たちは恵那山のふもとでフリーペーパーを発行している任意団体です。本当の意味で“誰一人取り残されない”のは季節の移り変わりではないでしょうか。また美しい自然から、地域の強みや魅力を教えられているのは、私たちだとも感じています。 心を豊かにするこの地域のひとときを二十四節氣とともに発信。そしてこの地のスタートアップから、インタビューや寄稿を通したコンテンツは、恵那山の頂きより「ヤッホー!」と叫ぶように、多くの人々に届いたらいいなと思っています。
We are a voluntary organization that publishes free papers at the foot of Mt. Ena. Isn’t it the change of seasons that truly means that no one is left behind? I also feel that we are the ones who are taught the strengths and charms of the region by the beautiful nature. We will transmit a moment of this region that enriches the mind with 24 seasons. And I hope that the content through interviews and contributions from startups in this area will reach as many people as possible like shouting “Yo-ho!” from the top of Mt. Ena.
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