泊まれる(古)本屋庭文庫で百瀬雄太さんに寄稿と珈琲をお願いする

寄稿

笠置山の麓の築一〇〇年以上の古民家で、泊まれる(古)本屋庭文庫を、妻の実希と営む、百瀬雄太です。こんにちは。はじめまして。の、方もいるかなと思います。読みはじめてくださりありがとうございます。

ここになにか書いてほしいと、水野さんからご依頼をいただき、さて、何を書こうかしらと考えるまもなくそのまま文字を連ねています。

うまれるものが、うまれること。生えたいと欲望するものが生えること。それぞれの自然さを、まるっと受容し、肯定して、それぞれの自然を、生きること。庭文庫という地で僕が大事に想っていることはそれに尽きるかなと思います。それはみずからの生を肯定することです。

庭文庫は本屋ですが、本を読まない方にもぜひ来てもらえたらと思っています。僕は本を読むことが偉いことだとか、みなに大事なことだとかはまるで思わないから。本を読む人には本を読む欲望や必要がある。それに救われたり、なにかを教わりながら変わっていったりする。そういうことが欲される生もあれば、そうではない生もいます。いずれにせよそのそれぞれの生が、それぞれの幸せを生きられるといいなというのが、庭文庫を営む僕自身の想いです。

それは、僕自身が、みずからの生を殺してばかりして生きてきたためにうまれる祈りのようなものであると思います。

僕は死にたくてしかたがなかった。どうすればこの世で生きていけるのかまるでわからず苦しかった。その苦しみや悲しみのさなかで僕は本を読み、うたを歌い、絵を描き、詩を書き、踊りを踊り仏像を掘り、さまざまなものを作りながら生きてきました。作ることで読むことで、生きながらえてきた。それは僕の固有の生の必要でした。

庭文庫にはいろんな生が来られます。それぞれに偏り、それぞれに怒りや悲しみや澱みや憤りを有するそれぞれの生たち。本を買う人もいれば、宿として泊まり、ぼうっとする人、自然界に微睡む方や、誰かと話をされる方など。それぞれのありかたで居てくれたらいいなと僕は思って店を開けます。

みずからの時に帰ること。僕は時おりそんな言葉も使います。忙しない日常のなかなにかを見失うことは多く人にはあるものだと思う。じぶんは本当にこのように生きていたいのだったかと疑問や不安に思うこともあると思う。

どこからでも、また、はじまりの場所に帰り、その人の生を生きなおすことができると僕は思う。

みずからの時へ。

みずからのまんなかへと

 帰ること。

それは今なお日々まあたらしくうまれているその生を、もういちど始原からうまれ生きなおすことなのだと、僕には思える。

庭文庫がそういうことをする、そういう時に帰るために少しでも役に立つように在るといいな、と、思います。

どのような生も

うまれてよかった

うまれたことの

祝いを

共に生きられたらと

想います

【恵那のふもとからの寄稿】は恵那、中津川に移住定住して下さった人々のなりわいに感謝したい、応援したいというおもいがあります。また、ここで産まれた人々、今は他の土地に根差し活躍している人々の紹介。スタートアップでこれからこんなことしていきたい!応援して欲しい!熱いおもいを伝える人々の場所としたいとスタートしました。 そんな私たちも応援して頂いています。この循環が大きくなってこの土地が豊かになりますように。次のクールの支援も始めました。シェアして頂けたら嬉しいです。

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